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37話 数百年と求めるその願い

last update Last Updated: 2025-06-04 14:30:36
 雲一つも無い寒空には白銀の星が瞬き、晩秋の空には冬の大三角が輝いていた。

 だが月の姿はそこには無い。

『ナハトの因子は至る場所に溢れているが怨嗟の強い場所はより集まる。この森一体は、この国で最も多くの因子が集まっている』

 七年も昔、クレプシドラの残滓が語った言葉をケルンは反芻した。

 二百年前の宗教戦争での虐殺、近代まで頻繁に行われていた精霊還し、そして孤児院の火災が加算され……怨嗟が怨嗟を呼んだかのよう、まさにこの森はナハトの撒き散らす闇の因子が癒着するに持って来いな最悪な舞台となった。

「そういえば、ケルン。貴方は闇の因子を打ち砕くのが責務だっていうけど……そもそも闇の因子って減らせるものなの?」

 カンテラを持ち、隣を歩むキルシュは訊く。ケルンは腕を組んで眉を寄せた。

「削る事はできるさ。ただ、果てしないってだけだ。痛みの森はツァール屈指の憎悪と嘆きの詰め合わせみたいなものだから、闇の因子が集まりやすい。まず因子ってものは根本的に、人間の発した悪しき感情が元になる」

 それは生きた人間も死んだ人間も同様だ。とケルンが答えると、キルシュはピタリと立ち止まった。

「そんなの、いつまで経っても終わりが見えないじゃない」

 ……恨みも嘆きも人であれば当たり前の感情。理不尽な目にあって、それを抱かぬ者などいない。キルシュはそう付け添えた。

 尤もな事だった。そう、終わりなんて無いのだ。ケルンは、困った顔で立ち止まったキルシュを見る。

「そうかもな。でもな、野放しにする訳にいかないんだ。それよりキルシュ、怖くないのか?」

 もう間もなく歩めば、《狂信者》たちの歩み回る針葉樹林に入る。

 既に嘆きにも似た不気味な咆哮が聞こえている。カンテラを持つキルシュの手は震えていて、よく見れば脚も戦慄いていた。

「考えあって付いてきているのは分かるが、こんなのわざわざ付いてくる必要なんてない。教会まで送るぞ……」

 キルシュのもとまで歩み、彼女の手を引こうとする。しかし、キルシュはケルンの腕に抱きつき、首を横に振った。

「怖い。だけどケルン。このままじゃだめなのよ! 終わりが見えないなら、根本から打ち消さないと」

 真っ直ぐに見つめキルシュは言う。その瞳は、明らかに不安に揺れていた。だが、強い意志をたたえていて……。

「そ
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